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あれから10年

先日仕事をしていて、ふっとカレンダーを見たら、
「あ・・・あれから10年経ったんだ・・・」と気がつきました。

山スキー中に(正確にはまだ登っている途中、シール登行中でした)
目の前の斜面に横一線にピーーーーーーーッと亀裂が入り、
”あっ雪崩だっ”と思った瞬間に足下を掬われ
雪崩に巻き込まれて、急斜面で立木に激突して"く"の字に引っかかって助かりました。
右大腿骨が激突したようで、ぽっきり!でしたが、そんなのは大したことなく、
雪崩の圧力で締め付けていた右足のスキーブーツ毎もぎ取られたのが致命傷でした。
(引き抜き損傷で腓骨神経麻痺、膝窩動脈損傷、凍傷、腓骨骨折)

ちなみに走馬燈も見ました^^;;;↓
・あ~もうこれは死んじゃう!!!、嫌だ~死にたくない!!!!
・お母さんとおばあちゃんが悲しむ~、、
・家のローンが~~~~~…(死んだら払わなくて良いんですが、買ったばかりだったので(笑))
と頭の中をぐるぐるしてたら、ドカン!!!で立木に激突
ザーーーーーッ!!!と雪崩が下に落ちていきました。
その後の静寂、鳥のさえずりを覚えています。

最初の頃こそ”助かった!!!ラッキー!”とアドレナリン大放出状態で、
でも"くの字"じゃ体力消耗しちゃうな…と意外と冷静で、
背中に被ってる雪をよけて、一気に体制を整えて座り直したりしているうちに、
一緒に巻き込まれて運良く立木にしがみついて難を逃れたリーダー(…実は自転車部部長)が
見つけてくれました。
しかしその後、下山出来るまでは2時間以上もあり、最後は痛いし、寒いし、眠くなる(低体温で)わで、
救急車に担ぎ込まれた時にやっと「あぁこれで命は助かったな…」って思ったことと、
かなり暖房が効いているのは分かったけど、それでも寒くて寒くて「寒い寒い」と言っていたのは覚えています。
体温は34度台にまでなっていたようです。
(意識ははっきりしてて、今でも色々な事は覚えています)

その後、担ぎ込まれた新潟の病院で右膝上にドリルで穴を開けられ
棒を突っ込まれた後左右に鍋ぶたみたいなのを付けられて(スヌーピーの耳状態)
、大腿骨周りの筋肉で骨がずれないように10kg位のおもりを付けられて牽引されました。
重りは筋肉量に応じて決められるそうで・・・
まぁそこそこ運動してたので足は太く、で、結構な重量だったようです。

しかもその病院では入院できないから、長野県の病院へまた救急車で搬送されましたが、
輸血して、そのまま3週間も牽引したまま寝たきり。
(体がショック状態で手術できる状態じゃないので・・・で、そのまま)
でもそれよりもなによりも右足の神経麻痺からくる痛みが24時間ひどく、
特に夜は更に痛みが増してきて、本当に辛かったです。

最初の頃は単なる骨折だけで助かってラッキーと思っていたけど、
搬送されるときに右足の先が全然自分の意思では動かない事が気になっていました。
鎖骨骨折したときは手や指は動かせたので、ん?と思っていた)
それがやはり、神経損傷したことで動かせなくなったと分かってきて、
痛みもあいまっていっそのこと、あのとき死んでしまっていれば良かったのに・・・
こんな状態でどうやって生きていけるんだろうとか、
絶望していたことを思い出します。

その頃夜痛くて寝れなくて、ぼんやり見ていたのがトリノオリンピック。
荒川静香の金メダルは寝れない中、生中継で見ていました。
(重傷個室というのに入っていた、そこは無料。)
だから今でもあのVTRを見ると、そのときの事を思い出し複雑な気持ちになります。(^ω^;)

その後3週間ほど経って、いざ骨折の手術をしようとなったら、
実は血管も損傷してるかも・・・でも、うちじゃ手術できません、、で
長くなるから地元の病院へ戻った方が良いと言われ、
自宅近くの大学病院まで民間救急で寝たきり牽引されたまま移送されました。
その後、色々検査して、血流は側副血行路でなんとか確保されているから、
先に骨折の手術が出来そうだとなり、事故から1ヶ月近くたってやっと、
大腿骨と腓骨の骨折手術をしてもらいました。
その後は膝窩動脈のバイパス手術・・・からの~血流復活によるコンパートメント症候群を発症し、
筋膜切開しましたが、それもむなしく前頸骨筋が壊死して骨がむき出しになり、
背中の筋肉から肉を移植するかという話にまでなりました。
でもこれは、陰圧閉鎖療法で時間はかかったけどなんとか自力で肉芽が出来てきて覆うことができ、
背中にメスを入れずに済みました。
でも今度は、右かかと上の褥瘡から、膿が大量に出てきて足が腫れてきて、
感染が広がっていたら、最終的には膝上で切断という話にまでなってしまったこともありました。

その後、セカンドオピニオンで今見て頂いている先生に出会って、
「切るのはもったいないよね^^」と、積極的な治療(イリザロフ)をしてもらえて
今に至っているわけですが、我ながらよく耐えたとは思います。
(親弟妹にも大変苦労、心労をかけてしまいました...
痛みは本当に長いこと酷くて、結局の所薬は効かないし(麻酔ならきくけど(笑))、
薄皮をはぐようにしか良くならないと言われて、時間の経過を待つのみ。
痛いけど、仕事とか他のことが出来る程度に我慢できるようになったのは1年半位はかかりました。

今ならもう耐えられない、無理です(笑)。。
3年前の入院の時は2日くらいだったけど、久々の強烈な痛みでかなり辛かったので、
今、あの受傷後からの1年半を再度やりきれるか?と問われたら、
分かって居るだけに精神的に無理ですね^^;;

ま、という事で、山もスキーもテニスも出来ない、右足首から下は動かず、
感覚も無い、走れない、装具が常に必要、ヒールも履けない、靴も履けない、見た目不格好、
長い距離を歩くには杖が必要・・・と色々不満はあれど、車いす生活で歩くこともままならず、
痛みや将来に色々絶望していたあの時からすれば幸せだなと思います。
もちろん将来的な不安(年を取って体の自由がきかなくなったときに大丈夫かなとか)もありますが・・・。
事故の日を忘れていたという事も、まぁ、良いことだと思います。

自転車に乗れる事で少しはスポーツ的な趣味も出来るようになったし
会社も都心への自動車通勤を許可してくれて普通に仕事も出来ているので
経済的にも自立できている、という事は、幸せだと思います

てなことで、多少仕事が忙しかろうが、休出でへろへろでも、
働けることそのものが、幸せだよなぁ~!と思えます。
ただ万年寝不足で、眠いのだけが・・・^^;;


そんなこんなで10年経ち、改めて、生かされている命ということで、
怪我や事故には気をつけて周りに心配かけないように、
元気に生きていかないとなぁと思ったのでした。

以上、受傷から10年経過した小学生の作文でした。終わり。

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Comments 2

妹  
老後は任せて!!

仲良く一緒に暮らして、平成の金さん銀さんを目指しましょうw

ま、その頃は平成の次の次、の予感…(^◇^;)

2016/02/07 (Sun) 18:43 | EDIT | REPLY |   
姉  
To 妹さん

ありがとう・・・i-241
お互い元気でいよう!

2016/02/07 (Sun) 20:07 | EDIT | REPLY |   

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ゲレンデスキー&山スキー&登山に関するチマチマした事を備忘録としてblogで記録しておく事にしました。・・・^^;、が今は出来なくなったので、色々な備忘録・日記です。。
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